今も昔も『衣料のまち』

公開日 2016年03月22日

更新日 2018年03月22日

衣料のまち羽生

 江戸時代末期以降の青縞の生産地としての伝統を受け継ぎ、衣料縫製を中心とした「衣料のまち」として発展してきました。
 大正時代になると、電動の工業用ミシンを導入。足袋や作業着の生産が始まり、昭和の初期には学生服が活況となり、家内工業から工場制に移ります。
 昭和12年日華事変が勃発すると、羽生の大規模な工場は陸軍の軍服生産工場になりました。
 そして終戦後の昭和25年、繊維製品の統制が解除され、自由経済となると新規の業者も数多く参入し、北関東第一の生産地としての地位を築き上げました。これにより昭和27年に羽生被服同業会(現在の羽生被服協同組合)が設立されました。当時の製品としては、ズボン類、各種制服、ジャンパーなどで、国鉄や郵政省(当時)などの官庁の制服を製造していました。
 現在も新商品の研究開発や斬新なデザインを導入するなど、新たな飛躍への道を歩んでいます。

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羽生被服協同組合

 藍染より発祥した「衣料のまち」羽生が東日本一の衣料王国として全国に名をはせ、とりわけ羽生被服協同組合傘下企業はその力を結集し常に中心的役割を果たしてきました。
 その技術と伝統は、特にユニフォーム分野(学生服、学校体育衣料、ワーキングウェア、白衣・介護服、職場制服)で西の岡山県・広島県、東の「羽生」と、今日も日本の双璧を担っています。
 生産基地も中国・ASEAN諸国へと拡大し、取扱品目も被服周辺分野(インナー等)へと広がりをみせながら集団的総合産地として発展しています。

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羽生衣料縫製協同組合

 羽生衣料縫製協同組合は、昭和32年に設立し今日まで60年の歴史を誇る羽生市を代表するアパレル産業の骨幹をなす組合です。時代の波、不況の波に押され、現在の組合員数は25社と減少しておりますが、この25社こそが大地に根を下ろして生き残った精鋭です(平成30年1月現在)。
 主な生産品は、各種ユニフォーム、婦人服、子供服、カジュアルウェア、ジーンズ、ブルゾン、ツナギ、白衣、エプロン等と多品目に渡り、卸売り業者、販売業者そして消費者の皆様方のニーズに応えて参りました。そして、若き青年部が新しい知識を結集して、新製品の開発に日夜努力しております。
 これからも親組合と青年部が切磋琢磨して、羽生市の地場産業の更なる発展のために貢献してまいります。

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→詳しくはこちら 羽生衣料縫製協同組合

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