新郷の指定文化財

公開日 2018年08月06日

更新日 2024年04月01日

川俣関所跡(埼玉県指定旧跡)(昭和36年9月1日指定)

 

 川俣関所跡は慶長年間(1596~1615)に設けられ、明治二年(1869)に廃止されました。

 この関所は江戸城警備のため設けられ、「出女に入鉄砲」といわれており、諸大名の夫人の脱出を防ぎ、江戸の安全を図るために鉄砲が入るのを取り締まりました。

 関所は利根川沿岸に設けられたとされますが、河川改修のため今ではその場は川底となっています。

 

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※令和4年に、石碑は堤防拡幅のため一時撤去しています。

 

 

川俣締切跡(埼玉県指定旧跡)(昭和38年8月27日指定)

 

 川俣締切跡はそれまで利根川として流れていた流路のうち、会の川筋を文禄三年(1564)に締め切った跡です。

 当時、利根川の流れは幾筋にも分流しており、新郷川俣付近においては、南流して加須市を流れる会の川筋と現在の河道を東流する筋と分かれていました。文禄三年に忍城主となった松平忠吉の命を受け、付家老の小笠原三郎左衛門吉次が指揮して、新郷に堤を築いて会の川を締め切り、同三年に利根川本流を東流させたと伝えられています。以後、江戸や流域の治水が図られるとともに、利根川流域の広大な新田開発が進められました。

 

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川俣関所関係文書 付 関所関係用具(埼玉県指定有形文化財)(昭和33年3月20日指定)

 

 川俣関所番士を4家が代々世襲してきました。現在、新郷地区に残っている元番士の家が用具や古文書を所蔵しています。

 

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勘兵衛マツ(埼玉県指定天然記念物)(大正15年2月19日指定)

 江戸時代、羽生市上新郷には八王子宿から日光へ至る日光脇往還と呼ばれる街道が通り、本陣や脇本陣が設けられました。また、街道沿いでは「新市」が立ち、5と10の付く日には市が開かれていました(『家忠日記』『新編武蔵風土記稿』)。

 上新郷の日光脇往還沿いに松が植えられたのは、寛永5年(1628)と伝えられています。この年の4月、江戸幕府第3代将軍の徳川家光が日光東照宮を参拝しており、景観を整えるためか、当時の上新郷村を治めていた忍城主が家臣の勘兵衛に松の植樹を命じたと言われています。そのためこの松並木は「勘兵衛マツ」と呼ばれるようになりました。

 江戸時代には100本以上を数えたという勘兵衛マツは、明治8年(1875)の調査では69本になりました(「新井家文書」)。その後、台風による倒木などにより数を減らし、昭和56年(1981)の調査では9本が確認されましたが、平成30年(2018)3月現在、江戸時代から現存する勘兵衛マツは黒松1本のみです。

 樹高 約11.7メートル  幹周り 約2.4メートル

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新郷歴史散歩(文化財マップ)

 

 平成26年(2014)に作成した文化財マップです。

 

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新郷歴史散歩[PDF:3.33MB]

地図

勘兵衛マツの位置

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