【プレ公開中】羽生市の歴史(れきし)

公開日 2023年11月24日

  羽生の歴史(れきし)には、いつも利根川(とねがわ)が深(ふか)く関(かか)わっています。

  羽生市のあたりには、古(ふる)い塚(つか)や、永明寺古墳(ようめいじこふん)などの古墳(こふん)がいくつも残(のこ)っています。これは、利根川(とねがわ)のおかげで、昔(むかし)から交通(こうつう)などが栄(さか)えていたからではないかと考(かんが)えられています。
 そうした遺跡(いせき)から埴輪(はにわ)が出土(しゅつど)することがあり、「羽生」という地名(ちめい)も、「埴輪(はにわ)」を由来(ゆらい)とする言葉(ことば)からできたものだといわれています。

 

 戦国時代(せんごくじだい)にあった「羽生城(はにゅうじょう)」は、上杉謙信(うえすぎけんしん)と北条氏政(ほうじょううじまさ)との戦(たたか)いで、上杉方(うえすぎがた)についていました。
 羽生城(はにゅうじょう)は、戦(いくさ)の中(なか)で、周(まわ)りを敵(てき)に囲(かこ)まれてしまいます。上杉軍(うえすぎぐん)は助(たす)けようとしましたが、増水(ぞうすい)していた利根川(とねがわ)を渡(わた)ることができなかった、という史料(しりょう)が残(のこ)っています。

 江戸時代(えどじだい)の前(まえ)ごろまで、羽生市のあたりでは、大小(だいしょう)いくつもの川(かわ)の流(なが)れがあったために、水害(すいがい)が多(おお)かったといわれています。
 たくさんある水(みず)の流(なが)れをまとめるため、工事(こうじ)が何度(なんど)も行(おこな)われました。川俣(かわまた)で行(おこな)われた、会(あい)の川(かわ)のしめ切(き)りは、その一(ひと)つです。
 こうした工事(こうじ)によって、周囲(しゅうい)の土地(とち)の新田開発(しんでんかいはつ)が進(すす)んだと考(かんが)えられています。

 今(いま)につながる田園風景(でんえんふうけい)や、「衣料(いりょう)のまち」の基礎(きそ)「青縞(あおじま)」も、利根川(とねがわ)に育(はぐく)まれた、羽生の歴史(れきし)を伝(つた)えるものです。
 これからも、利根川(とねがわ)の豊(ゆた)かな流(なが)れとともに、羽生の人々(ひとびと)は歩(あゆ)んで行(い)くことでしょう。
 

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